Lillies and Remains(リリーズアンドリメインズ)が今作『Transpersonal』で大きな飛躍を遂げた。
僕は彼らの1stのPart of graceを聴いてから、その後この作品を聴いたのだが、以前とは明らかに別次元にいると確信した。
何より驚いたのは、音が、ボーカルが、曲、アルバム全体を包むフィーリングに暖かみがあることだ。
Transpersonal
1stアルバムを聴いた時の彼らは、刃物のような鋭利さをそのまま音にしたような、シリアスさがあった。
しかしこの作品には、ハードな曲調の曲はあるものの、以前のような鋭さはない。
むしろ私たちを包み込んでくれるような、包容力すらある。
そう思わせるのは、シンセの導入やボーカルの変化など多々あるのだろう。
特筆すべきはbroken receiverだ。
以前に増して強固になったアンサンブルの先には、開放感溢れるシンセがある。
そのカタルシスと言ったら筆舌に現せないほどだ。
Lillies and Remains – Broken Receiver
https://www.youtube.com/watch?v=PsvUOMMnwMo
今までの彼らのようなトゲトゲしさはなく、慈しみを感じさせるような暖かみがあり、安らかな気持ちにさせてくれる。
なぜ彼らの音はこうも変わったのだろうか?
それはKENT氏のボーカルの変化や、大胆なシンセの導入からも感じさせられるが、
もっと根源的なレベルでそう思わせる“何か”があるんじゃないかと思う。
SNOOZER誌ではこの暖かみの正体を以下のように語っている
トランスパーソナル心理学に影響を受けた、個人を超越した存在に進化することに対する希求という、
少なからずスピリチュアルなテーマを持ったアルバム全体のコンセプトと、
サウンドが見事に共鳴し合った、非の打ちどころのないほど洗練されたアルバムだ。
(中略)ここでは、生の暗い側面を覗き込むのではなく、何かしらの救済に対する希求が表現全体の核になっている。
全編通して、とげとげしい部分は皆無。とにかく美しく、優しげなアルバムだ。 (snoozer#084 田中宗一郎)
つまり僕の感じた暖かみの正体はスピリチュアルなテーマから来るサウンド、雰囲気の変化だったようだ。
SNOOZERのレビューから感じたことは、このアルバムには聴き手だけでなく、自分達とは関わりのない第三者すら救おうとするような慈しみの視線を感じるということだ。
そしてその慈しみの視線は、ここ日本から遠く離れたイギリスの地にもあった。
イギリスの地から古き良きアメリカ音楽に慈しみの視線を投げ掛ける、Primal Scream Riot City Bluesというアルバムだ。
このアルバムには本当に多種多様な音楽が混在している。
例えば、インド音楽、カウントリー、ブギー、バラード、ブルース等ざっと挙げるだけでも、このくらいのジャンルの音楽が入っている。
この雑多な音楽性をSNOOZER誌では、以下のように捉えている。
このアルバムには、数々の夢破れた亡霊たちが憑依している。
デトロイト・ブルーズ、アイリッシュ・トラッド、カントリー、スコティッシュ・フォーク、60年代ブリティッシュ・ビート、
60年代サイケデリック、70年代後半英国のネオ・サイケデリックと、
まるでロックンロールの歴史を再訪するかのような様々な時代のサウンドが顔を出す。
(中略)
そして、何よりも、ボビー・ギレスピーが紡いだ物語の中では、
かのジョニー・サンダースを連想せずにはいられない破滅一歩手前の主人公たちがワイルド・サイドを駆け抜けている。
(by田中宗一郎 ♯57)
つまりこのアルバムには夢半ばにして、無残に散っていった英雄たちの音楽が詰まっている。
Riot City Bluesにはそんな英雄たちの魂をすくい上げ、自分たちの音楽に昇華させようという意思が感じられる。
この作品にはそんな慈しみの視線を感じるのだ。
しかし彼らはそれらの音楽を英霊を慰めるようなレクイエムとするのではなく、かつての名盤スクリーマデリカにも通ずるような“喜び”を持って鳴らしているのが、Riot City Bluesの最高の魅力なのだろう。
このアルバムには今まで彼らがやってきた政治への言及など、笑って蹴り飛ばすような爽快感や開放感さえ感じさせられる。
それはCountry Girlを聴けば、説明は要らないだろう。
Primal Scream – Country Girl
そうこのアルバムには、色んな時代を生き抜いてきたプライマルスクリームという、バンド像を象徴するような、過去に引きずられない“強さ”があるのだ。
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リリーズはスピリチュアルな側面からサウンドへと深化し、プライマルはロックンロールのゼロ地点に立ち返り深化した。
というか彼らの場合、若々しさや“喜び”を持って音を鳴らすという、プライマルらしさを取り戻した。
この両者から浮かび上がってくるのは、慈しみの視線であり、前作とは切り離された開放感を感じさせる所だ。
大事なのは、アプローチは違えど、根底に流れているのは一緒だということだ。
つまり両者とも独自の深化を遂げたギターロックだ。
【Specila Thanks】
この企画でお世話になったブログを紹介します。
LIBERALMUSIK(洋楽インディーバンドを多数紹介しています。特にカナダのインディーバンドの充実ぶりが凄いです)
ありがとうございました!
以上で一旦この【新世紀のギターロック】シリーズは終わりを迎えます。
また書きたいものが出てきたら、このシリーズは復活するかもしれません。
あと今回は音楽ブログ間での連携を密にしたいと考えていたので、音楽ブロガーの方で【新世紀のギターロック】というラベルで書きたい方がいたら、このラベルを気兼ねなく使ってください!
音楽ブログ間でこのようなラベルを共有できたらいいのになって思ってます。
以上です。今回の企画で音楽ブログ間に何かしら風穴を開けることが出来たのなら幸いです。